「バンドがんばる」と言った人にはずっとバンドやっててほしい。
売れようが売れまいが、喉こわそうが身体こわそうが、何年たとうが、ずっとバンドやっててほしい。そしたらきっといつか、今日みたいな寒々しい中野の路地裏じゃなくて、ライブハウスのなかで、絶対に会えるはずだと思う。
お互い好きな音楽について夜通し話せると思う。僕は音楽が大好きな人と朝まで音楽について話すのが何よりも好きだ。だから、僕は彼と、また会えるはずだと思った。
音楽はすごい。僕が思う以上に。君が望むみたいに。
「バンドがんばる」と言った人にはずっとバンドやっててほしい。
売れようが売れまいが、喉こわそうが身体こわそうが、何年たとうが、ずっとバンドやっててほしい。そしたらきっといつか、今日みたいな寒々しい中野の路地裏じゃなくて、ライブハウスのなかで、絶対に会えるはずだと思う。
お互い好きな音楽について夜通し話せると思う。僕は音楽が大好きな人と朝まで音楽について話すのが何よりも好きだ。だから、僕は彼と、また会えるはずだと思った。
音楽はすごい。僕が思う以上に。君が望むみたいに。
女子による男根主義ロックは腐るほどある。
それではそもそも男根主義ロックとは何かといえば、
自己のリビドーの果てしない充足こそを求めるロックである。
自己拡張のロックであって、他者抑圧のロックであって、
まあ、平たく言ってしまえば、ステージの上の俺が一番ということだ。
そういうとなんだかなだけど、ほとんどのロックとは、
そうしたリビドーを内包している。
そもそもが自己証明への渇望があるからだ。
カート・コバーンがヴァセリンズに見たものとはその否定である。
なぜかといえば、カートはすでに「敗北した白人」だったからだ。
彼にとって世界とはまず「勝者」としてあった。
色とりどりのメイクをしたハード・ロックやMTVでダンスするスターたち、
あるいはステイタスへの欲望こそを音楽にしたあまたのラッパーたちはみな、
勝者の雄たけびか勝者の微笑を見せつけていた。
だから彼はいつも気分がLOWで、吐きそうだった。
そんな彼からすれば、グラスゴーのユージンとフランシスが鳴らしていたロックは、
なんと非暴力的なものに映っただろう。
それは、ロックでありながら、ほかとはまったく異なる倫理を持つものだったのだから。
そんなカートが心血を注いだニルヴァーナの「ハード・ロック」が
なぜあれほど痛々しく、そして、いとおしく聴こえていたのか。
その理由はそこにある。
この女性、私も知ってる、というところでなんか嬉しくなっちゃう。
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